一般社団法人 嘉祥流観相学会

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追悼文集

追悼文

嘉祥流観相学会 導師 植木 照才 様
藤木先生のご逝去を知り、深い悲しみで一杯です。
最後に面談した折に著書を頂き「君も頑張りなさい!」
と激励の言葉を頂き一緒に記念写真を撮ったあの日が
フラッシュバックしています。
僕が教える最後の講義になるだろうと言われ、思えば、 観相士・学士・導師の資格取得まで暖かく導いていただきました。
歴史に残る各界の大物たちから学ばれた人間力の逸話や藤木先生
自らの人生訓に教わったことをこれからの自分の脳内習慣にしてゆきます。
また、藤木先生から授けていただいた学術名にも恥じぬよう精進し、 藤木流観相学の関門弟子として隣人を愛し勇気づけ、 人を幸せにする笑運精神を忘れず継承したいと思います。
最後に藤木相元先生 
沢山のお教えをありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。

不二本蒼生様
ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、故人のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。

宗教新聞編集長 多田則明様
国を憂うる人
 眠るように大往生された藤木相元先生の最後の言葉は、「世界は変わったか、日本は変わったか、文化文明は変わったか」だったという。人工呼吸器を付け、話すことができなかったため、筆ペンでノートに書き記された。日本と世界の将来、そして現代文明の行く末を案じられていたのであろう。
 晩年に藤木先生の謦咳に接し、親しく話を伺いながら、戦後日本を復興・発展させてきた世代に共通する思いを感じていた。それは、戦場に散った戦友たちに恥ずかしい生き方はできない、というものである。そして、人間一人ひとりに対する旺盛な好奇心が、達磨大師の観相学を現代によみがえらせたのであろう。
 奇しくも今年は、藤木先生が尊崇された弘法大師が四国八十八カ所霊場を開創して千二百年に当たる。密教を日本の風土に根付かせ、玉体安穏の修法により護国仏教の道を堅固にした大師の姿に、国師の風格が漂う藤木先生を重ねてしまう。
 沖縄・糸満市摩文仁の県立平和公園内に、沖縄戦で犠牲になった韓国人の慰霊塔を設立されたように、藤木先生は平和の人でもあった。今は大きな魂となって日本、アジア、世界を見守っている先生を感じながら、この国の将来のために先生の思いを代弁していきたいと思う。

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